愛と執着の違いは?

愛と執着の違いは?

 

 

執着を手放すことの
難しさに

大切に思う気持ちと
(愛や愛情、思いやり)

執着している思考の
区別がつきにくいことが
あげられます。

 

 

境目がわからないので
執着を愛だと
思ってしまうことは
よくあることです。

 

愛を手放すことは
絶対にできません。

 

愛が私たちの本質だからです。

 

なので、執着を愛と
思い込んでいると
執着は絶対に
あなたから放れていきません。

 

 

あなたを幸せに導くのは
愛だけで

執着はあなたを苦しみに
導いていきます。

 

 

ということで

執着と愛の違いについて
お伝えしたいと思います。

 

 

執着というのは
特定の物や人
あるいは経験を
特別視するものです。

 

特別視する理由は
執着している対象が

「私にはないものをくれる」

「私の不足を補ってくれる」

その結果として

「私は満たされる」

と信じているからです。

 

 

支え合う関係のように
思えてしまうので
愛のように思えるのですが

「ないものをくれる」

「補ってくれる」

その思いの本質は

「もらうこと」

です。

 

 

ですので
自分の期待したように
満たしてくれない時には

 

「わかってくれない」

とか

「愛してくれない」

とか

「理解してくれない」

 

のような
グチ、不平不満

という形になって
現れます。

 

 

わかってほしい
愛してほしい
理解してほしい

あなたのこのような願望を
完璧に満たせるのは

あなた自身しかいません。

 

それが真実です。

 

 

あなたのことを

わかってくれる人はいない
愛してくれる人はいない
理解してくれる人はいない

ということではありません。

 

 

自分をわかってないなら
自分を愛してないなら
自分を理解してないなら

他の人があなたのことを

わかってくれても
愛してくれても
理解してくれても

 

完璧にはなりえない、、、

という意味です。

 

 

自分への愛が欠けていたら
半分にしかならないので

人から愛されても
それだけでは
満たされないんです。

 

 

執着は

自分の幸せを
たった一人の人と
結びつけてしまうことです。

 

たった一人の存在の力で
自分を幸福を完璧に
満たそうとしてしまいます。

 

 

これは
ありえないことを
成し遂げようと
しているので

執着している間は
決して「完全な幸福」
というゴールには
たどり着きません。

 

 

満たしたいがために
執着をするのですが

「満たされない…」

というのが執着を
している時に
実際に体験することです。

 

 

満たしてもらえないため

「愛されてない」
「大切にされていない」

と考えてしまい
苦しみが始まります。

 

このように
執着は苦しみを生むことに
つながっていきます。

 

 

さらに
執着に囚われると
常にその人が

「私を幸せにしてくれるか?」

を監視してる必要があるので

安心して
くつろいでいることが
できなくなってしまいます。

 

 

また執着された側も
幸せの全責任を負わされれば
辛い状況になります。

 

期待に100%
答えることはできませんから

「自分には妻を
幸せにする力はないのだ」

と自信を失って
しまうことでしょう。

 

 

「妻を幸せにできない」

これは男性にとって
かなり辛いことだと

パートナーシップの権威
ジョングレイ博士は
書籍の中で語っています。

 

 

 

執着に囚われていると
幸せの鍵を握っているのは
パートナーのように
思えてしまい

愛されれば幸せになれると
考えてしまいますが

本当の幸せの鍵を
握っているのは
あなた自身です。

 

 

少々厳しい言い方をすれば

自分の幸せの責任は
自分にあります。

 

そして
あなたにはそれができる力が
あります。

 

 

執着がその力を
隠してしまっているので
自分には無理だと
思えてしまうだけです。

 

あなたの中にある

あなたを癒す力
あなたを幸せにする力

を信じてほしいなと
思います。

 

 

あなたを癒す力
あなたを幸せにする力

これが「愛」です。

 

スピリチュアル的に言えば
神さまの力になるでしょうか。

 

愛は外にあるものじゃなくて
あなたの心の中にあるものです。

 

執着ではなくて
愛を頼ってください。

 

 

執着はあなたに
苦しみや不足感をもたらし

愛はあなたを
幸福感や安心感で
満たしてくれます。

 

 

執着を手放せば
「愛」は必ず見えてきます。